もう今は彼女はどこにもいない
こんな時でもなければなかなか会えない学生時代の友人達とお葬式が終わって、昼間っから飲んだ。
近況、子供の話、絶え間なく会話は続いた。亡くなった友人の話はあまりしなかった。
もう、あの頃から20年以上が経っていて、その間彼女がどんな人生を送っていたのか、詳細を知らない。そして、薄情な事に記憶も随分と埋もれてしまっていた。
年賀状のやりとりくらいで、ずーっと会っていなかったから、
だから不思議だった。
旧友たちと楽しいひとときを過ごし、またね、と、1人になった帰りの新幹線。
ボロボロと泣けてきた。
体は覚えてるんかな。
一緒に過ごしたこと、ウィットに富んだ会話でいつも笑わせてくれたこと、あの頃、近くで生きていたことを。
悲しいとか、寂しいとか、そんなんじゃなくて、あの時の心地よさが蘇ってくる。弛む。
最後はほんと、ありがとうしかないね。
まだ信じられないけどね。
妻に先立たれたご主人の姿、
娘に先立たれた母親の姿、
母親の死をまだ理解しきれない幼な子たちの姿、
それぞれの人生があった。
そして、私の知らない彼女の人生もあった。
彼女の人生の最後は愛するパートナーと可愛らしい子供たちに囲まれていた。
良かった。
彼女が幸せだったことを知れて本当に良かった。
(お葬式で旦那さんにキスしてもらえる亡骸はなかなかないわ。しかも7つも年下の旦那さんに!)